2025年5月16日、金曜日の「徹子の部屋」に登場するのは、医師であり、作家であり、そして人道支援活動の実践者でもある鎌田實(かまた・みのる)先生。その名を耳にして、「ああ、あの“心に寄り添うお医者さん”ね」と思い出す方も多いのではないでしょうか。
今回は、鎌田先生のこれまでの歩みをたっぷりとご紹介いたします。
実の親に捨てられ、養父母との生活で医師を目指す
鎌田實先生は1948年生まれ。1歳10か月の時に実の親に捨てられ、岩次郎さん、フミさん夫婦がもらって育ててくれました。
フミさんは重い心臓病で、長く入院していました。岩次郎さんはタクシーの運転手で、夜中の12時ぐらいまで仕事で、帰ってこられませんでした。お風呂がないような貧乏な家で、妻を入院させるために、長い時間働いていたのです。そのころは、国民皆保険もなくて、高い入院費や心臓の手術代を払うのは、とても大変なことでした。
一人っ子の鎌田先生は、子ども時代はずいぶん淋しい思いをしたそうです。また養父は厳しい人で、礼儀作法しっかりしないと怒られたとも。そんな養父に鎌田先生が学校であったことを話しても上の空。その日、その日を暮らすのに、精一杯で余裕もなかったのでしょう。そのかわり養母は優しい人で、入院先へ見舞へ行って、布団にもぐりこんだり、休みの日は一日いたり。養父と違ってよくほめてくれたそうです。鎌田先生が横道にそれなかったのは、優しい養母フミさんのおかげと語っています。
鎌田先生が医師を目指したきっかけは、心臓病で早くに亡くなった、あの優しかった養母の存在。しかし養父は貧しいからという理由で猛反対。しかし鎌田先生も引き下がりません。必死に説得し、最終的には医学部に進むことを許してもらったのですが、その時に養父がこう言ったそうです。
「約束しろ。医者になっても弱い人や貧乏な人のことを忘れるな」
その言葉が實先生の人生の指針となりました。
医師としての出発点:長野県・諏訪中央病院での挑戦
東京医科歯科大学医学部を卒業後、なんと都市部の病院ではなく、長野県茅野市の諏訪中央病院へと赴任します。ここでのスタートは決して順風満帆ではなく、当時の諏訪中央病院は医師不足に悩む小さな地方病院でした。周囲から「都落ち」「二度と東京に戻れなくなる」と反対されながらも、「だからこそ進んで長野に赴いた」ことから、名医としての人生を始めます。
医師と患者の間にまだまだ隔たりがあった50年前の長野県で、あくまでも「地域」の人々の生活の中にこそ「医療の真髄」があると信じ、がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、住民の生活の場に積極的に参加しながら「住民と共につくる医療」を実践。減塩など独自の「健康づくり運動」を長年続けることで、かつて脳卒中死亡率の高かった長野県を今では日本一の長寿県に変えた、その立役者でもおられます。早くも30代で院長に就任し、赤字だった長野諏訪中央病院の黒字化にも大成功。養父の言う「あたたかな医療」と「経営の黒字化」を同時に叶えました。
作家としての顔:心にしみるメッセージを言葉に
医師としての激務のかたわら、鎌田先生は作家としても多くの作品を発表してきました。その中でも特に有名なのが『がんばらない』シリーズ。「がんばらなくていいんだよ」と優しく語りかけるその文体に、多くの人が涙し、癒されてきました。
「生きづらい時代」「何かと無理をしがちな日本社会」において、一時はご自身がパニック症にもなったこともある鎌田先生だからこそ、その言葉はまるで灯台のように私たちを導いてくれます。
📚主な著書:
- 『がんばらない』(集英社)
- 『なげださない』(集英社)
- 『希望』(朝日新聞出版) など
世界へ広がる活動:チェルノブイリとイラク支援
鎌田先生のすごさは、日本国内にとどまらない活動範囲にも表れています。
1991年より、チェルノブイリ原発事故の放射能汚染地帯へ100回を超える医師団を派遣し、約17億円の医薬品を支援。ウクライナ避難民支援にもいちはやく着手しました(JCF)。
さらに、2004年からはイラクの4つの小児病院へ4億円を超える医療支援を実施し、小児がん患者支援、難民支援を続けています(JIM-NET)。東日本大震災以降、全国の被災地支援にも力を注ぎました。自ら現地を訪れ、命の危機にある人々に手を差し伸べてきたその姿勢は、まさに「命の守り人」と呼ぶにふさわしいものです。
2021年 ニューズウィーク日本版「世界に貢献する日本人30人」。2022年 武見記念賞受賞。
おわりに
養父母が実の両親ではないと知ったのは、30代後半にパスポートを取得した時に分かったそう。そのことを岩次郎さんもフミさんも亡くなる最後まで鎌田先生に明かしませんでしたし、鎌田先生ご自身もも事実を知ったことは両親に黙っていたそうです。
それにしても、養父岩次郎さんの「約束しろ。医者になっても弱い人や貧乏な人のことを忘れるな」の一言を、生涯忘れず通される鎌田先生はご立派ですね。今日もご覧いただきありがとうございました。
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