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ANA函館ハイジャック事件(全日空857便ハイジャック事件)とは【THE航空パニック2025】

テレビ

1995年6月21日、羽田空港を出発した全日空857便(ボーイング747SR-100型機)は、函館空港に向かう定期便でした。ところが、飛行中に突如、ひとりの男性によってハイジャックされ、日本中を震撼させる大事件となったのです。この事件は、日本で初めて警察が航空機内に強行突入し、犯人を制圧した事例としても歴史に残っています。


ハイジャック発生の経緯

機内には365名(乗員15名、乗客350名)が搭乗しておりました。ハイジャック犯は、53歳の東洋信託銀行の男性で、精神疾患の治療で休職中だった人物です。
犯人は事件当日「コバヤシサブロウ」の偽名を使い、また羽田空港で搭乗する際に金属探知機をすり抜け、小型ドライバーを持ち込みました。そして「オウム真理教の信者だ」「サリンを持っている」と告げ、機長らを脅迫しました。実際にはサリンも爆発物も所持しておらず、武器はこのドライバーだけでした。しかし、当時は地下鉄サリン事件から間もない時期(サリン事件は同年3月20日)で、乗員乗客、そして日本社会全体が「次は自分たちか」と恐怖に震えた瞬間だったのです。


犯人の要求と交渉の行方

犯人は「麻原彰晃の釈放」を要求し、札幌への燃料補給や羽田空港への帰還も求めました。機体は函館空港に緊急着陸し、その後12時間以上にわたる膠着状態が続きます。
機内では飲料水や食料の提供も許されず、乗客は長時間の拘束に苦しめられましたこの間、警察は犯人との交渉を粘り強く続け、少しでも乗客の安全を確保しようと尽力していました。


日本初の航空機強行突入作戦

ついに6月22日早朝、道警機動隊員が突入を開始しました。午前3:37〜3:45にかけ、L1〜L3ドア(機体前方のドア)に特殊梯子で同時侵入。犯人制圧、乗客乗員全員の無事救出。架空サリンは水・爆弾は粘土という偽物でした。隊員たちは銃器をできるだけ見せず、犯人を刺激しないように配慮しつつ、迅速かつ的確に行動したのです。
犯人は額を警棒で打たれ、わずか数分で制圧されました。「確保!」と叫ばれたとき、一斉に拍手がおこったといいます。午前3時45分、全乗客・乗員が無事救出され、事件は終息しました。これは日本の航空史、警察史において画期的な出来事となりました。


事件後の裁判とその後の対応

犯人は逮捕後、オウム真理教とは全くの無関係ともわかり、懲役8年の実刑判決を受け、その後控訴審で懲役10年に引き上げられました。全日空からは約5,300万円の損害賠償も請求されました。

この事件を契機に、航空機保安対策は大幅に強化されます。空港のセキュリティチェックの厳格化、警察の航空機ハイジャック対応訓練の徹底、SATの体制強化など、今の日本の安全を支える礎となりました。

犯人の動機は?

犯人はTVや新聞でオウム真理教と麻原彰晃が起こした数々の事件を知って腹を立て、オウム信者を名乗って大きな事件を起こせば麻原と教団に厳罰が下されるだろうと考えてハイジャックに及んだといいます。事件を起こす前月に読んだ週刊誌に「オウム真理教の信者がハイジャック事件を起こして教祖を奪還する計画を立てているらしい」という記事を見つけて「それなら自分が信者を装ってハイジャック事件を起こそう」と思い至ったそうです。そして、もし麻原が釈放されたなら一緒に自殺して、国民的英雄になろうという魂胆もあったようです。

また当時の『週刊新潮』には「妻も愛人も見捨てた全日空ハイジャック」という記事もあり、実は家庭の他に愛人にも子を産ませており、バブルが崩壊し二つの家庭のやりくりにも失敗し、自暴自棄になっていた可能性もあります。いずれにせよ身勝手極まりない行為です。


メディアと国民の記憶

事件当時、NHKは最新鋭のロボットカメラを使って、函館空港に着陸したハイジャック機の様子を生中継しました。特番が組まれ、日本中の人々が息をのんでテレビの画面を見守りました。更に特殊部隊が突入する前には、犯人にバレないよう全容を映さないという厳戒令が出され、各テレビ局がそれに従い、コックピットのみ映すという状況になりました。
また、機内に偶然搭乗していた歌手の加藤登紀子さん、実母、加藤さんのバックバンドのメンバーのギタリストでリーダーの告井延隆さんらがおり、告井さんが密かに新聞紙に隠してのトイレの中へ持ち込んだ携帯電話で、犯人の状況(単独犯である)を110番で警察に伝え、事件の解決に協力したとのこと。後日、北海道警察本部長より告井さんに感謝状が贈られています。この冷静な行動が、警察の作戦立案に大きく役立ったといわれています。


事件から学ぶ教訓

この事件は、「冷静な判断」「的確な行動」「組織の連携」がどれほど大切かを、私たちに強く教えてくれました。ハイジャックという極限状態の中でも、誰も命を落とさず、無事に解決できた背景には、現場で奮闘した多くの人々の努力と、国民全体の協力の精神があったのです。


まとめ

全日空857便ハイジャック事件は、日本の安全対策・警察対応の歴史に深く刻まれた事件です。今、私たちが安心して飛行機に乗れるのは、こうした過去の出来事と、それを教訓として進化してきた対策の賜物です。今回もご覧いただきありがとうございました。

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