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松平健・真島茂樹との熱い友情、マツケンサンバ誕生秘話【櫻井翔・人生で1番長かった日】

テレビ

2004年にリリースされ、今なお根強い人気を誇る『マツケンサンバⅡ』。キラキラの着物にラテンのリズム、そしてあのインパクトあるダンス。いったいこの名曲はどのようにして誕生したのでしょうか。今回は、その誕生秘話に迫ります。


■ 原点は“暴れん坊将軍”の舞台ショー

松平健さんといえば、時代劇『暴れん坊将軍』で知られる大スターです。実は「マツケンサンバ」のルーツは、彼が出演していた舞台「暴れん坊将軍スペシャルショー」のレビュー部分にありました。

当初は洋装でタップダンスやピアノ演奏といった構成でしたが、観客の反応が薄く、もっと盛り上がる構成を模索する中で「和装×踊り」のスタイルが確立していきました。

この頃から、ステージの締めくくりとして“歌って踊れる”レビューショーが定番となり、そこで「マツケン音頭」→「マツケン小唄」→「マツケンマンボ」と進化を遂げていきます。


■ ラテン調の導入と「Ⅱ」誕生の背景

「マンボ」に続く新しい展開として、プロデューサー陣が提案したのが“ラテン調”でした。マツケンサンバは最初、日本舞踊の先生が振り付けをして和装で手拭いやもみじ、桜の枝などを持って踊っていました。

1990年代中ごろにハワイで海外公演を行うことになり、松平さんのアイデアで旧知の仲以前、有楽町に日劇という劇場があり、そこでは歌と踊りのショーを専門にやっていて、松平さんがまだ劇団にいたころ、よく見に通っていました。真島さんとはそこで出会ったそうです)だったマジーこと真島茂樹さんに振り付けを依頼。こうして、和洋折衷ダンスパフォーマンスの『マツケンサンバII』が生まれました。

せっかくの海外公演ですから、ショーのフィナーレでみなさんに最後、盛り上がって帰っていただきたいという思いで、リオのカーニバルのような明るくて派手なイメージでお願いしたそうです。

「最初は驚いて、引いてる方もいましたよ(笑)」と言う、きらびやかでド派手な衣装も、マツケンサンバには欠かせないコスチューム。衣装の生地は、なんと松平さんご本人が海外で買い付けしてきたそうですニューヨークへ行ったときに、生地の専門店でスーツの生地を買ったりしていたのですが、その時見つけたのがスパンコールの生地。日本には、ラメやスパンコールの生地があまりなかったから、これを衣装にしたらいいんじゃないかとピンときたそうです。

そして2000年代に入り、「マツケンサンバ」が舞台用の楽曲として登場。当初の「マツケンサンバⅠ」は舞台限定の楽曲でしたが、その評判が非常に良く、ついに一般リリースを目指して「マツケンサンバⅡ」が制作されます。

この「Ⅱ」がいわば、ステージ版の集大成であり、観客の熱量と松平さんと真島さんのアイディアの融合から生まれた名曲なのです。


■ ダンスと衣装が話題に!真島茂樹さんの功績

楽曲の魅力を引き立てたのが、振付師・真島茂樹さんによる印象的なダンスと衣装です。

もともと「日本舞踊+ラテン」の融合という無茶ぶりに近いオーダーでしたが、真島さんはあの金ぴかの衣装と腰使いダンスで唯一無二の世界観を作り上げました。

「キラキラのスパンコール着物」は、まるでブロードウェイミュージカルを思わせる豪華さで、当時の紅白歌合戦でも大きなインパクトを与えました。


■ 作曲家・宮川彬良さんが仕掛けた「中毒メロディ」

『マツケンサンバⅡ』の作曲を手がけたのは、宮川彬良さんです。

彼は「一度聞いたら忘れられない」「ループして聞きたくなる」構成を意識して作曲したそうです。冒頭からサビのような勢いで始まるこの曲は、あえて「音楽の家にドアから入らず、ベランダから入っていく」ようなイメージで設計されているそうです。

そのため、聞いているうちに「どこから始まったのか分からなくなり、何度も繰り返したくなる」──まさに“中毒ソング”といえます。


■ 日本国内外での反響と再ブーム

『マツケンサンバⅡ』は2004年7月にCDリリースされて以降、じわじわと人気を伸ばし、年末には紅白歌合戦に出場。さらにはニューヨーク・タイムズ紙にも紹介されるなど、世界的にも注目されました。

その後も何度となく再ブームが訪れており、2021年の紅白では17年ぶりに復活。TikTokやX(旧Twitter)などのSNSで再び脚光を浴びました。

2023年には「マツケンサンバカフェ」が渋谷に登場。2024年には芸能生活50周年を記念して新たな衣装もお披露目され、「人間パワースポット」と称されるなど、ますます注目を集めています。


■ マツケンサンバⅡが今も愛される理由

ポイント内容
和とラテンの融合斬新な音楽ジャンルのミックス
中毒性のあるメロディ一度聴いたらクセになる
印象的なビジュアル金ピカ着物と情熱的なダンス
振付のインパクト真島茂樹さんの名演出
再ブームを巻き起こす力SNSやコラボで常に話題

■真島さんの突然すぎる死

振付師でダンサーの真島茂樹さんが2024年5月22日午後10時38分、虚血性心不全のため死去しました。77歳。松平さんも同日夜に病院に駆けつけ、真島さんの姉と一緒に、涙ながらに最期をみとったそうです。

亡くなる前日まで元気に仕事をこなしていた真島さん。松平さんは公式サイトで「余りに突然のことで、いまだ信じがたい思いです」としつつ「踊りを愛し生涯ダンサーを貫き通したマジを尊敬し称賛します。一緒に仕事をすれば周りに気を配り、いったん振り付けとなるとプロフェッショナルな厳しい指導、終われば明るく元気な優しい人柄でした。そんなマジと長年苦楽を共にしてつくった作品をこれからも皆さんに楽しんでいただけるよう私も歌って踊り続けたいと思います」とつづっています。友人であり、師でもあった真島さん。二人の関係性がわかる気がします。

■ まとめ

マツケンサンバⅡは、単なるバラエティソングではなく、舞台芸術の中からじっくりと育てられた一曲です。
その裏側には、出演者や制作者たちの努力と試行錯誤、そして“観客を楽しませたい”という熱い思いが詰まっていました。

いまや日本のエンタメ文化を象徴する存在となった『マツケンサンバⅡ』。この夏、もう一度あのリズムに身を委ねてみてはいかがでしょうか?

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